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●おしらせ ------------------------------------------ 3月11日午后2時46分。東北地方太平洋沖地震が発生致しました。後に「東日本大震災」と呼ばれるマグニチュード9.0の巨大地震。以降、東日本のみならず日本は「天地がひっくり返って」しまいました。未曾有の災害です。あまりに規模が大き過ぎ、投稿が完全に追いつかぬ状態のまま今に至ります。いずれ、新たなブログを開設したいと思っています。 検索
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平成30年7月豪雨発災からまもなく1ヶ月が経過しようとしていますが、大変心配された台風12号も過ぎ、全線不通となっていた呉線も懸命の復旧作業により、広島〜坂までが開通しました。断水が続いていた川尻地区も本日、復旧。日々着実に進んでいます。「日常」が戻る事を誰もが願っている真夏の呉・江田島。苦難の7月を乗り越え、迎えた8月。昨日1日、江田島は海上自衛隊幹部候補生学校にて学校長離着任式が執り行われました。
2018年8月1日(水)午前8時 国旗掲揚 齋藤聡 幹部候補生学校長として、修めの朝。真夏の青空広がる眩しき純白連なり。幹部候補生学校総出の国旗掲揚です。この後、齋藤 学校長は、ここ表桟橋より去ってゆかれますが、「江田島」では、表桟橋が「玄関」。大変重要な場所である事が、この写真からも判ります。国旗掲揚塔は、儀杖隊指揮官の直線上にあります。ここは表桟橋中央。つまり、表桟橋と国旗掲揚塔は「正対」。そして、おそらく、1年に2度、ここに夕陽が直射します。どなたが設計されたのかは判りませんが、「完璧な配置」の大変重要な「表桟橋」。
午前8時15分 その表桟橋に新たに幹部候補生学校長として、着任される南孝宜 海将補がご到着になられました。齋藤聡 学校長が出迎えられます。この日の江田島湾は鏡のように穏やかで美しく。表桟橋に降り立たれた時が、「着任」の瞬間でしょうか。 南 学校長、お出迎え栄誉礼を受けられ、お隣には齋藤 学校長。お二人の「学校長」がいらっしゃるのは、この離着任式の時のみですね。 栄誉礼を受けられた後、歩いて幹部候補生学校赤煉瓦の庁舎へ向かわれますが、表桟橋より赤煉瓦庁舎まで、途切れる事なく純白の縦列が連なっています。早朝から厳しい暑さとなっていた江田島。皆様、午前8時前から、ずっと並ばれていました。皆様、純白の正装、「江田島」を顕す白砂が涼しげに見えますが、実際には「猛暑」です。厳しい暑さの続く日本列島。数々の行事が中止となっていますが、ここ「江田島」に変わりはなし。皆様、平成30年7月豪雨発災後、断水と暑さに耐えて来られました。 いよいよ、齋藤学校長とのお別れの刻が参りました。幹部候補生学校長として受けられる修めの栄誉礼。上空は一点の曇りもない快晴。気温が高くになるにつれ、晴れていても白く霞む事がありますが、この日は違いました。澄み切った真夏の青空でありました。午前8時30分 齋藤 学校長は、見事な真夏の青空広がる朝に、ご家族と共に去ってゆかれました。 南 学校長着任された直後に行われた分隊点検。学生館にぐるり並ばれた皆様、お一人お一人のお顔をしっかりとご覧になられて「報告」を受けられます。学校長、学生の皆様の「お顔合わせ」ですね。来年3月に「鹿島立ち」されるまで、あと7ヶ月。南 学校長をお迎えしての新たな学びの日々の始まりです。 分隊点検が行われた学生館前。呉・江田島ならではの御影石の水路。古鷹山から流れて来る「清流」ですが、通常の水量は、ご覧の通り。しかし、平成30年7月豪雨発災後は、轟々と流れる瀧のようであったそうです。最初は土砂混じりであったそうですが、すぐに澄んだ水となり、「命を繋ぐかのような大切な水源」となったそうです。江田島は10日間ほど断水となり、こちらの水は飲料水には使えなかったそうですが、「流しそうめん」のように割った竹を並べ、生活用水の確保をなさったそうです。 平成30年7月豪雨が発災しなければ、今週末には「江田島サマーフェスタ」が賑やかに行われていた事でしょう。改めて「何事もない日々」の大切さを痛感した平成30年夏。 では、齋藤 学校長離任の訓示を掲載させて戴きます。 明日8月1日付、海上幕僚監部防衛部長を命ぜられ、明朝離任する。 本来ならば離任当日に訓示するのが通常であるが、少々長く話したいとの思いから、このような形になった。 先日の豪雨では諸君に大変不便な思いをさせ、校長として申し訳なく思っている。さらには3連休の中で、家族、恋人、友人と楽しく過ごす予定であったと思うが、それを取りやめさせ、災害派遣に従事させる決断をしたため、大変な迷惑をかけたように思う。校長の判断に不満を持っている者もいると思う。 しかし、近傍で大きな被害を受け、援助を必要としている人がいる中で、君たちに予定通りの休暇を与えることが私には出来なかった。人出が不足している被災地の状況を看過することができなかった。 「私も作業に加わらせてください。」 1隊の者が生まれた頃、2隊の者が小学生低学年の頃、平成7年1月17日月曜日、阪神淡路大震災が生起した。 「私も作業に加わらせてください。」 これは地震直後の23歳の女性隊員、ちょうど1隊の皆と同じ年頃の女性隊員の言葉である。阪神基地隊に勤務していた彼女は、神戸出身で、新婚まもなく、おなかには3ヶ月の赤ちゃんがいた。 土日は実家で過ごし、月曜日に地震に遭遇し、さあどうしようか、とにかく隊に戻ろう。 液状化現象で凹凸になった道を歩き、使える電車を乗り継いで甲子園まで辿り着き、そこから歩いて、普段は1時間もかからないところを4〜5時間かけて隊に戻ってきた。 着いたところ、ヘリコプターからどんどん荷物が降ろされているが、それを受領して配分する働き手が足りない。彼女はそれを見て、おなかに赤ちゃんがいるとか何とか言っておれない、何とかしなくてはと思い、作業指揮官に「私も作業に加わらせて下さい」と申し出た。しかし指揮官は彼女が妊娠しているのを知っているので、「君は軽い事務の仕事をしてくれ」と言った。 彼女は「どうしても作業をやらせてもらいたい」と言い返した。 何故か?と言う指揮官に問いかけに対し、彼女は次のように答えた。 「5年後、10年後、おなかの子どもが大きくなって、あの時、お母さんはどうしていたのと必ず聞くでしょう。それに対し、私はおなかの中のあなたを慮って、皆がやっていた作業を脇で見ていたとは言いたくない。私はあなたと一緒に故郷神戸の復旧作業に従事したと言いたい。十分に注意して作業をやりますから、是非やらせて下さい。」 このおなかの大きな女性隊員を作業を外すことについて、誰も不満ではないであろう。10年も経てば、そんなことがあったことすら覚えていないであろう。そういう作業をしても彼女は何の得も得られないであろうが、彼女は敢えて作業をすることを選んだのである。 何故か? それはきっと彼女の生き方であり、プライドであり、価値観である。 自衛官にとって大切なことは沢山あると思うが、一番大切なのは、このように自分の責任を果たそうとする気持ちである。イージス艦でも、潜水艦でも、哨戒機でも、お金さえあれば買えるが、お金をいくら積んでも買えないのが隊員の使命感であり責任感である。 君達が持っている、使命感や責任感の芽を摘んではいけない、今後の勤務に必ずや役に立つであろうとの強い思いから、災害派遣に従事してもらった。 私たちは何のために苦しい訓練を続けているのか。いざという時に役立てるためであろう。いざと言う時は今ではないか。そういう思うであった。 諸君が私の立場でも同様の判断をしてくれたであろうと思いたい。 なお、この女性隊員の子どもは平成7年生まれであるので、ちょうど1隊の皆と同じくらいの年齢であると思うと、極めて感慨深いものがある。 さて離任に当たり職員と学生に一言述べたい。 まずは、着任以来、本校の業務運営と学生指導に献身的に取り組んでくれた職員一同に対し、心から感謝したい。諸君の情熱により、素晴らしい学生達が卒業していった。今後も引き続き、強い責任感と熱意をもって学生指導に当たってほしい。 次に学生諸君は、幹部自衛官になるという決意を胸に本校に入校し、多くの困難を乗り越えながら、ようやくここまできた。 諸君が、何事にも真摯に、積極的に取り組む姿は本当に感動した。 5月に水泳能力測定時には壁を蹴るだけで5mしか泳げなかった者が、猛暑の中で遠泳を完泳した姿に、心が震えた。 「強きリーダーを目指せ」と常日頃から諸君に求めているが、災害派遣や遠泳の経験は、「強きリーダー」となるために、きっと活きてくれるはずである。どうか引き続き頑張ってもらいたい。 新配置では、我が国の防衛を政策面から支えるべく、全力で取り組む所存である。先日、2分隊の候補生が戦史戦略論講話で「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」の話をしたが、私の次の仕事は、まさにそれらを作り上げる仕事である。 学校長の職は離れるが、諸君の活躍を心に留めて、これからも遠くから応援していきたい。そして、諸君といつの日か再会し、一緒に仕事ができる日が来るのを楽しみにしている。 海上自衛隊幹部候補生学校の益々の発展と諸君の活躍を祈念して、離任の訓示とする。 平成30年7月31日 海上自衛隊幹部候補生学校長 海将補 齋藤 聡 AKIRA 貴方の協力に感謝します 御安航を祈る #
by dybrristol
| 2018-08-02 18:14
| 幹部候補生学校
異例の逆走台風12号による降雨が大変心配された被災各地ですが、切なる願いと備えが天に通じたかのように、さほどの雨も降らず、心底安堵致しました。台風が行き過ぎた本日、急遽、呉の象徴でもある灰ヶ峰に連れて行って戴きました。
呉の街を出発した頃は、眩しい夏空であったのですが、灰ヶ峰頂上に到着した頃には、空は雲に覆われ、蒲刈、岩国方面は雨が降り始めていました。また、頂上付近は強い北風(もしくは東風)が吹いており、寒く感じられました。台風が過ぎた後は、かなり暑いであろうと思っていたのですが、違いました。台風12号の「異例さ」は、過ぎた後にも。
本日、灰ヶ峰に連れて行って戴いたのは、観光ではなく、「一望」出来る地点、また、灰ヶ峰頂上には気象観測のドームがありますので、「確認」しておきたかった為です。 崩れ落ちて路肩に散乱していた「特徴的な割れ方」をしている岩。このような岩(石)は、各地点に大小様々ありましたが、そうでない地点もありました。 こちらは「土砂」。崩れていると云うより、流れ出している。しかも、自然物ではない物も混じっていました。灰ヶ峰の崩れ出している地点、一様ではありませんでした。灰ヶ峰への道沿いに限り、大規模な土砂崩れの痕跡はありませんでした。 こちらは、宇品の港を出港してすぐ左手に見えて来る宇品島の元宇品海岸。崩れていましたが、画像を細かく確認すると、男の子たちが海水浴に来ていました。この日は、宇品から江田島へ高速船で向かいましたが、乗客は僅か3名。江田島へ20分程で着くのですが、激甚な被害を受けた水尻、坂町、小屋浦、天応が遠くに見え、大きく崩れた山の斜面も見えます。 発災前日まで呉におりましたが、発災後、呉に戻り、お会いする方々とお話をしていて、車で呉から広島へ向かう際、激甚な被害を受けた地区を通る時、「胸が締め付けられる思いがする」「現実とは思えない」と聞く度に、いたたまれない。 そして、皆様、「これほどの災害が起きるとは思っていなかった」と。多くの方々が楽観視していたのではなく、あまりに発災までの時間が短かった。発災前日午前まで、それほど雨は降っておらず、油断も何も、まさに「想定外」「未曾有」であった事を痛感せざるを得ません。 #
by dybrristol
| 2018-07-31 00:04
| 呉・江田島
台風12号が呉市に接近しています。既に広島県に大雨、暴風の警報が出ていますが、午前8時の段階で、呉市は穏やかです。
テレビでは、防災アプリやデータ放送の使い方、広島防災webの使い方を詳細に丁寧に紹介していますが、高齢の自分の母親を思うと、これらの「ツール」を使いこなす事は出来ません。「らくらくフォン」をマナーモードに切り替える簡単な操作も「わからないわ…」です。デジタルのツールが苦手なご高齢の方々は少なくありません。周囲にサポートできる人がいれば良いですが。ご近所、互いに助け合って、声をかけあって、来る台風に備える事の必要を、切実に感じます。 #
by dybrristol
| 2018-07-29 08:07
| 呉・江田島
2018年7月25日早朝に沖ノ鳥島付近にて台風12号が発生しました。進路はまだ定まっておりませんが、北上を続けると関東地方に接近・上陸しそうです。「平成30年7月豪雨」の被災地となった西日本へ向かわぬよう切に願いますが、首都圏は脆く。気がかりです。
寺田寅彦『天災と国防』(抜粋) しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。 今投稿は、発災が刻々と迫りつつあった7月5日。発災前日の呉。前日、呉では降雨は観測されていませんでしたが、5日の午前9時から雨が降り始め、発災へと繋がってゆきます。では、発災前日の呉を雨量と共に振り返ります。江田島の雨量データがない為、近しいと思われる大竹の数値を参照します。また、発災前の呉・江田島連続記録は、この5日まで。 7月5日(木)7時台 呉0.0mm 大竹0.0mm 今にも雨が降り出しそうな空。呉は午前9時まで雨は観測されていませんが、大竹では午前2時台に3.0mmの降雨。 7月5日(木)8時台 呉0.0mm 大竹0.0mm 輸送艦「おおすみ」さん出港。呉湾は既に雨が降っているように見えました。中央桟橋付近も、ぽつぽつと雨が降り始めていました。 呉に、江田島に、この広島に土砂災害が迫っている」 7月5日(木)9時台 呉2.0mm 大竹1.5mm 写真は8時53分。雨が強まり始めていた為、気になり撮ったようです。 何とか荷物をまとめ、滞在先を出た頃は傘が必要な雨。しかし、荷物が多い事から、傘を持たずに出ました。呉駅まで、バスで行こうと思いましたが、行き先次第では停車位置から呉駅まで、雨に濡れる(自分ではなく、荷物が)。その為、天応方面行きのバスを待ちました。今回の滞在期間中、何故か、バスを待っていると天応方面行きが来ました。出発の日も、すぐに天応方面行きのバスが来ました。 7月5日(木)11時56分 呉2.0mm 大竹1.5mm 広島駅へと向かう車窓から、降りしきる雨が気になり。呉線かるが浜駅付近です。 迫り来る豪雨の気配は感じていた。しかし、4年前は呉に、広島に、連日雨が降り続き、記録した8日から発災まで、約10日ありました。その為、今回、豪雨の気配は感じていたものの、翌日に発災するとは全く思ってもいなかった。危機感もなかった。激甚な土砂災害が突如、降りかかる等と思える状況にはなかった。 7月7日(土)8時21分 呉より静岡へ。 そして、再び、土砂災害の危険が迫っているかもしれない今。台風12号です。西日本ではなく、東日本。まだ遠い。台風12号が接近してくるまで、「猶予」があります。その間に出来る事は何か。心の準備と備え。「自分のところは大丈夫」等、根拠のない余裕は持たぬ事。台風の進路、雨雲・線状降水帯を注視する事。襲いかかる自然の猛威は避けられません。止められない。「減災」。それしかないのです。 #
by dybrristol
| 2018-07-25 23:19
| 呉・江田島
連日の厳しき炎暑に振り返る「雨の記録」。今夜の横浜は、僅かに雨音が聴こえましたが(その後、未明から本降りの雨が降り、台風12号発生)。「平成30年7月豪雨」発災から20日が経過しようとしています。世の中は早くも遠くになりにけり…になりつつありますが、敢えて発災までの呉・江田島を1日毎に雨量と共に振り返ります。今投稿は、発災が刻々と迫りつつあった、台風7号通過翌日の呉。江田島の雨量データがない為、近しいと思われる大竹の数値を参照します。
7月4日(水)8時10分 大竹0.0mm 呉0.0mm 発災前、「最大の関心事」であった台風7号は広島県を縦断する事なく過ぎ、台風一過の晴天を期待していた日。しかし、朝から雲行き怪しく。大竹では午前3時から6時にかけて6.5mmの雨量を観測。 7月4日(水)11時台 大竹0.0mm 呉0.0mm 隊友会・呉水交会・呉音楽隊前より。善通寺よりお越しの陸上自衛隊さんがたが続々と通過される頃には、思いっきり晴れ始めます。 2014年から4年後、続々と通過される陸上自衛隊さんの車両を見ていて、この日を思い出さない筈がありませんでした。次第に「4年前を思い出す。あの頃と似ている気がする」が顕著になり始めます。 7月4日(水)12時台 大竹0.0mm 呉0.0mm あまりに見事な晴れっぷりに、気を良くして、インコを持ち出し、記念撮影する程でした。台風も過ぎた事から、「このまま広島県も梅雨明け」ぐらい思っていました。 「思い出せ思い出せ。あの頃を思い出せ」と云わんばかりの光景が現れ始めます。記録と記憶の交錯が始まります。そして、この日の記録は、発災後の「災害派遣・支援」へと直結してゆきます。 7月4日(水)13時台 大竹0.0mm 呉0.0mm 静岡県での転地訓練の為、香川県は善通寺からお越しの陸上自衛隊さんの車両を輸送艦「おおすみ」さんへ搭載。「平成30年7月豪雨」発災後に直結する光景が続きます。 「おおすみ」さんへの搭載を記録していて、思い出された光景がありました。「あの頃」です。2013年10月。呉に雨が降り続いた2013年10月。 「数値」は、後から分かりますが、今は「雨雲レーダー」で強雨域を察知する事が可能です。「第1波(始まりの1時間)」の段階で、時間雨量を50mmを超えるような強雨域が迫っている場合、避難を決意する。線状降水帯が現れている場合は、即避難準備。現在の激しい気象状況を見るに、大げさと思われる程の心の準備と避難の準備をしなくてはならなくなっているのかもしれません。「50年に一度の」「数十年に一度の災害が差し迫っています」の警報は、大げさではない事が「現実」になった事を目の当たりにしました。呉市を襲った「昭和42年7月豪雨」と「平成30年7月豪雨」。51年目の激甚土砂災害。 7月4日(水)13時台 大竹0.0mm 呉0.0mm 2013年から約5年が経過した発災2日前。 7月4日(水)16時台 大竹0.0mm 呉0.0mm 何を思ったか、隊友会事務局から滞在先へ戻り、更にクレイトンベイホテルさんへ移動。昼前後は真夏の青空であったのですが、その後は雨は降らなかったものの、梅雨空に。 7月4日(水)19時30分 大竹0.0mm 呉0.0mm 日の入り前に夕陽がさし、とても美しい夕刻でありました。 この後も呉は雨が降る事なく、美しい夕刻から夜が訪れます。翌朝から本格的に雨が降り始めますが、前夜の段階では、本格的な雨の気配は感じられませんでした。雨の降り出しは、午前9時から。そして、発災まで、雨は降り続きます。 【追記】この投稿した後、横浜では未明から本降りの雨となりました。午前4時には大雨警報が発表。午前3時には、沖ノ鳥島近海で発達中であった熱帯低気圧が台風12号となり、今週末、本州へ接近、上陸する可能性が出て来ました。その場合、いきなり勢力が強いまま、本州に接近、上陸する事になります。西日本へ向かわぬよう願うばかりですが、関東は要警戒です。 #
by dybrristol
| 2018-07-25 00:36
| 呉・江田島
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