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●おしらせ ------------------------------------------ 3月11日午后2時46分。東北地方太平洋沖地震が発生致しました。後に「東日本大震災」と呼ばれるマグニチュード9.0の巨大地震。以降、東日本のみならず日本は「天地がひっくり返って」しまいました。未曾有の災害です。あまりに規模が大き過ぎ、投稿が完全に追いつかぬ状態のまま今に至ります。いずれ、新たなブログを開設したいと思っています。 検索
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毎年5月最終土曜日に香川県仲多度郡の金刀比羅宮神苑において、掃海殉職者追悼式が執り行われます。昭和、平成、令和へと引き継がれ、令和元年度は第68回でありました。太平洋戦争終戦が昭和20年。1945年。令和元年は2019年。終戦から74年。第1回は昭和27年6月23日。長きに渡り、引き継がれてきた追悼の日。新しき時代を迎えた今年、追悼式が始まる直前に、赦し難い出来事が起こりました。来年、そのような事が繰り返されぬよう、敢えて投稿する事と致しました。
赦し難い出来事が起きたのは、掃海殉職者追悼式会場の入口。朝日が岡入口付近でした。「鳥居」はございませんが、鉄製の「枠」は、鳥居のように思え、ここからは「聖域」。そうあるべきです。 ![]() 次回投稿において、その「拒絶反応」を引き起こす人物たちに言及します。掃海殉職者追悼式には、大変残念ながら、毎年のように極めて礼節を欠いた無礼非礼な見学者が現れます。毎年、代わる代わる。 自分が掃海殉職者追悼式にて金刀比羅宮さんを訪れるのは、今年で10度目。今回は、その10年で最悪であったかもしれません。2013年度も儀仗隊を追いかけ、追悼式会場内(後方)をバタバタと走り回った極めて不敬な人物がおりましたが、まだ、「足音」だけでしたし、会場内後方であった事から、出席された方々は殆ど気づいていらっしゃらなかったと思います。しかし、今年は入口付近。しかも、けたたましい笑い声でした。 その笑い声は、追悼式が始まる直前、入口の受付付近に居た「おっかけ女子3人組」。この3人組は、伊勢湾『機雷戦訓練』寄港時、追悼式週間高松寄港時に押しかけて来ます。数年前に存在を認知しましたが、認知のきっかけは、素行の悪さ。現地での素行の悪さもありますが、3人組の1人のtwitter。かなり勘違いしているのですが、勘違いしているまま行動していますので、周囲に不快感・迷惑を与えている事は、あちらこちらから耳に入って来ていました。 これまで、この「おっかけ女子3人組」は金刀比羅宮さんに押しかけていませんでした。この10年で、今年が初めて。そして、案の定、赦し難い事が起こりました。追悼式最中ではないにしても、「おっかけ女子3人組」が、けたたましい笑い声を数回立てた頃には、追悼式受付が始まっており、出席者の方々が受付に並んでおられました。霊名簿、ご遺族の方々、出席者の方々が通って来られる入口。冒頭の画像の通り、鉄製の「鳥居」から「聖域」に入った地点で、大口を開け、歯を見せ大笑いしていた「おっか3女子3人組」。その時の状況がどうであれ、この地点において、大笑いするのは、言語道断。自分は、掃海殉職者顕彰碑前の白州の端に立ち、その様子を見ていました。朝日が岡は、深い緑に護られ、風の音と野鳥の啼き声が穏やかに聴こえる静けさ。入口付近であったとは云え、会場内にまで、そのけたたましい極めて場違いな笑い声は届いていました。 その笑い声は、ご遺族の方々への「暴力」に等しく。出席される方々は、それぞれ、この掃海殉職者顕彰碑前に集まって来られます。もし、このけたたましい笑いの響く中、ご遺族が通られたとしたら、暴挙となります。ご遺族の方々の中には、ご高齢のお方もおられ、飛行機や電車を乗り継がれ、またはお車で、遠路遥々お越しになられています。日程的にも、前日高松港、追悼式当日は琴平と移動があり、掃海殉職者顕彰碑前までは、車では来られませんので、階段の昇り降りがあります。勾配のきつい坂道もあります。やっとの思いで階段を昇り降りされる、ご遺族もいらっしゃいます。年々暑さも増している事から、まさに「辿り着く」、なのです。 今年も追悼式終了後、遠路遥々来られた、ご遺族の方々と直会へ向かうバスまで、ご一緒致しましたが、朝日が岡から大門までの約20〜30段ほどの階段を、やっとの思いで昇られていました。常に呉地方総監部総務課の方々が親身にサポートされていますので、「私が背負いましょうか」と、お声をかけられたのですが、ご遺族の娘さんは「母は、この階段を昇りきれたら、来年も来られる!のチャレンジなのです」と仰られました。ご一緒した皆様が「あともう少し!」と声援。遂に大門までの階段を昇りきられた瞬間、「やった!これで来年も大丈夫!」と、皆様、喜びました。 そうしたご遺族の思い、そして、支える多くの方々の尽力を踏みにじる無礼非礼な見学者を到底赦す事は出来ません。追悼の岡で、大口を開け、歯を出して笑う。最低です。人間として、最低。 掃海殉職者追悼式を執り行うにあたり、呉地方総監、呉地方総監部の方々、掃海隊群、掃海部隊の皆様が、入念に準備をし、たてつけを幾度も繰り返し、ご遺族をお迎えします。大変多くの方々の尽力と遠路遥々お越しになられた、ご遺族の方々に対する「暴挙」。善き人々を踏みにじる蛮行。香川県での追悼の週間に備え、様々な準備がなされ、ご遺族の方々に細心の心遣いをされている呉地方総監部・掃海隊群の皆様。その大切な式当日を無礼非礼な見学者が踏みにじる。理不尽極まりなく。 このような無礼非礼な見学者から『掃海殉職者追悼式』を護るには、どのようにしたら良いのでしょう。出席者の方々は、事前に呉地方総監部に出欠席を通知されていますので、どなたがいらっしゃるのか分かっていますが、「見学者」は、通りすがりでもあり、今回の蛮行は「通り魔」とも云えます。2年前は、「通りすがり」と思われる人物がiPadで、追悼式を動画で撮影していました。 我が身に置き換えれば、自分の親族のお葬式や法事に、「突如現れた見ず知らずの人間が、写真を撮ったり、動画を撮ったりしている」です。今回は、自分の親族のお葬式や法事の会場入口で、見ず知らずの女子3人組が大声で笑っていた事になります。 笑顔は人を幸せにするものですが、場違いな大笑いは、その正反対。 『第68回 掃海殉職者追悼式』終了から、敢えて、かなり時間を置いての投稿を致しました。直後に投稿すると、感情的と受け取られるやもしれない、との思いもあり、時間を置きました。 #
by dybrristol
| 2019-06-10 16:26
| ┣掃海部隊
1投稿に納めようとしたところ、4000文字を超過。やむなく、2編構成と致します。まもなく、「令和元年度遠洋練習航海」へと旅立つ若者たちへ贈る大作。第2編の始まりは、2ヶ月前の江田島。「鹿島立ち」より。縦列行進の動画は、twitter「guardianveins」に投稿してあります。
「若鷲と世界の海へ いざ羽ばたかん 行って参ります」 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 江田島での厳しい訓練を乗り越えた海上自衛隊の若き初級幹部たちが、5カ月間の訓練航海に21日出発する。シーマンシップ(海自魂)、リーダーシップ(指揮官心得)、フォロワーシップ(部下心得)、そしてフレンドシップ(国際交流)の4つの「シップ」をしっかり体得して、逞しく成長して無事帰国してほしい。 山田 防衛大臣政務官twitterにて、引用RTして戴きました。今投稿に転載させて戴きます。
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by dybrristol
| 2019-05-20 01:57
| 幹部候補生学校
令和の時代が明けてより、20日が経過。時間と云うものは、片時も留まる事なく、進み続けています。練習艦隊の皆さまが横須賀に寄港中ですが、まもなく「世界の海へ」出航となります。まだ桜開花前の江田島を「鹿島立ち」し、約2ヶ月。その間、神戸・沖縄・佐世保・大湊・舞鶴の全国を巡る「平成31年近海練習航海」を終えて、呉に入港。そして、愛媛県三机を経由し、横須賀に到着。約半月の横須賀寄港も、まもなく終了。「世界の海」への旅立ちが迫っています。
![]() ![]() ![]() ![]() 正しき行いにおいてのみ 自由あり noblesse oblige 槇 校長の忘れ得ぬ言葉 幹部候補生学校入校前に4年の月日を過ごした防衛大学校初代校長のお言葉です。このお言葉は「学生時代」においてのみではなく、一生を離れる事はありません。「海上自衛隊」を勤め上げ、一民間人になっても、変わりません。「普遍」。人として善く生きる為の指針です。 ![]() 「人生の旅路」は、常に道遠し。ショートカットすると、後にツケが回って来ます。分かったような偉そうな事を書いていると思われるかもしれませんが、実際に自分が50年余り生きてきて、幾度も痛感した事です。1つ1つ、1歩1歩、地味に地道に歩む。着実に。ショートカットしたいのは、山々です。しかし、それをすると、すぐに壁にぶち当たります。地味に地道に歩んでいても、壁にはぶち当たります。人生、壁だらけ。その壁を1つ1つ打破して来た若者たち。幹部候補生学校を修めるにあたり、既に「大人」であるのですが、敢えて「若者」と表現します。「若鷲」でも良いかもしません。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() Eta Jima Graduation 16 march 2019 Thank you Admiral Murakawa for inviting me here today. To the Distinguished visitors, welcome. ADM Murakawa, Chief of Staff JMSDF Mr. Satoshi Katsuki, Repersetative, President, National Defense Academy Mr. Hiroshi Hiraguchi, Member, House of Representative Mr. Atsushi Ishizawa, Representative, Attending on behalf of Mr. Minoru Terada, House of Representative Honorable Ambassador Julio Fiol, Chile Mr. Hidehiko Yuzaki, Govenor Hiroshima Prefecture Mr. Yoshiaki Shinhara, Mayor Kure City Mr. Shusaku Akioka, Mayor Etajima City Admirals, Military Attaches, Honored Guests, Ladies and Gentlemen Please take your seats. It is an honor to be with you on such a special day; to celebrate your achievements and join you in the first step into what I know will be long and fruitful careers. There is no greater calling than to serve your country, to put yourself on the line to defend the security and prosperity of your fellow citizens. Over the past year, you have endured mental, academic, and physical challenges. The education, experiences, and relationships you developed here have formed the bedrock on which you will build your careers as officers and leaders. I have complete faith that your instructors and senior leaders have given you the tools and confidence to tackle any challenge you may encounter. Today, you will leave this institution and embark on the first of many journeys as an officer in the Kaijo Jieitai. For each and every one of you, this ceremony marks the end of one era and the beginning of another, in more than just a figurative sense. You will leave behind Heisei and return to a new era. The Heisei era began in 1989, well before many of you were born. Much like today, it was a time of great change, not just in japan but around the world. Within months of the Japanese Emperor taking the throne, revolutions swept across Europe culminating in the fall of the Berlin wall. Having lived through these rapid change, I can tell you that great change can happen swiftly; this world will knock you down if you’re not ready. Within three years, the Soviet Union would be no more, ushering in a period of even greater change. Just as few could have predicted such a rapid end to the cold war, it is impossible to know what lies ahead. Standing here today, I cannot tell you what will happen in the coming years, mouths or even weeks. What I can tell you is that you must be prepared for anything. You must look into the unknown without fear or trepidation; confident in your abilities and your teams. Your fellow citizens will look to you when they are most afraid. They will look to you when they are most vulnerable. And they will look to you to do what no one else can. You may be called respond to natural disasters. From the 1995 Hanshin Earthquak to the 2011 Great East Japan Earthquake Disaster and the more recent flooding and landslides, the Heisei era saw its share of devastating events. The Jieitai proved itself extremely capable of rapid deployment to help those in need. All of you in the graduating class itself have already proved your dedication to duty when you responded to the landslides that hit Kure and left Etajima without water. The extreme weather is bound to continue, and without a doubt, Japan will be again; I know you will be ready. But natural disasters are not the only threat out there. The security environment in this region is rapidly changing. The U.S.-Japan alliance has been the cornerstone for peace and stability in the region for more than seventy years. This has led to unprecedented growth and prosperity for the entire Indo-Pacific. However, there are those who seek to unilaterally change the status quo, those who would threaten the well-being of others to benefit themselves. The security environment today could result in the Kaijo Jieitai being called upon to protect Japan against these manmade threats. You must be ready to respond to the full spectrum of potential that face Japan. You may be called to stand and defend, but you will not be alone. The United States Navy will always stand with you, ready to defend our allies as we would our own. The U.S. Navy and Kaijo Jieitai work together every single day to strengthen our friendship and deepen our joint capabilities. Our shared logistics interoperability; the ability to conduct real world bilateral operations including ballistic missile defense; the integration of Kaijo Jieitai surface forces into Carrier Strike Groups; and the collection and sharing of intelligence are more important than ever. All that said, our alliance is not just a list of capabilities and joint operations, it is a relationship built on a foundation of person-to-person interactions. Be active participants in this alliance; take every opportunity to build friendships with your U.S. Navy partners. Allow me to end on personal note. When I started my career 33 years ago, we faced a period of great power competition. Now, we have come full circle back to great power competition. I could not have imagined having the opportunity to work closely with the Kaijo Jieitai; it truly has been a highlight of my career; one that I will cherish as I move on to new adventures. As I look out at so many youthful faces in the audience, I feel as if I am peering into my own past, full of excitement and nerves at the limitless possibilities that lie ahead. You will leave this place as commissioned Navel Officers in the Kaijo Jieitai, an honor few will ever know. From my own experience, I can tell you that the adventure on which you are about to embark in not an easy one, but it is rewarding. Carry your commission with equal parts pride and humility; remember that you are part of something bigger than yourself. Today you graduate from students to Officers. As you begin your career as leaders in the Jieitai, please remember: Homete Yaraneba, Hito wa Ugokaji. (show with actions, teach with words and let them execute. Encourage with praise.) Thank you. “Honjitsu ha Gosotugyo Omedetoh Gozaimasu.” I wish you Fair Winds and Following Seas. 在日米海軍司令官 グレゴリー・J・フェントン 海軍少将 祝辞 静まり返る大講堂に朗々を響いた、グレゴリー・J・フェントン在日米海軍司令官の祝辞。 褒めてやらねば、人は動かじ」 江田島の地で、山本五十六元帥のお言葉を引用された、グレゴリー・J・フェントン在日米海軍司令官。事前に祝辞の内容は存じませんでしたので、初めは動画で記録していませんでしたが、動画に切り替え、正解でありました。動画に切り替えたきっかけは、「カイジョウジエイタイ」と仰られた事でした。日本人として、大変印象に残る「カイジョウジエイタイ」。当日、大講堂にいらした方々にも、大変印象深かった事と思います。また、英語に堪能でない限り、祝辞の内容を聞き取れなかった方々もいらっしゃる事と思い、また、自分も改めて、祝辞を振り返りたく思い、当blog掲載の許可を戴きました。ご尽力戴いた皆様に、厚く御礼申し上げます。寔に有難う御座いました。 ![]() 第69期一般幹部候補生課程及び第71期飛行幹部候補生課程 卒業式 学校長式辞 本日ここに、フリオ・フィオル駐日チリ共和国特命全権大使、グレゴリー・フェントン在日米海軍司令官、湯崎英彦広島県知事をはじめ、来賓各位のご臨席のもと、村川海上幕僚長を迎え、第69期一般幹部候補生課程及び第71期飛行幹部候補生課程の卒業式を挙行できますことは、卒業生はもとより、本校職員、在校生一同の大きな慶びとするところであります。 本課程学生の教育に当たり、地元江田島市をはじめ、各方面から寄せられました多大なるご支援、ご協力に、厚く御礼申し上げます。 ご家族の皆様におかれましては、この栄えある卒業の日を心待ちにされていたことと拝察いたします。心からお祝いを申し上げますとともに、今日まで卒業生を支えて頂きましたことに深く感謝いたします。 この度、卒業する学生は、昨年4月に入校いたしました、タイ王国留学生ナッタパット・リュークヌーパカーン海軍少尉を含む防衛大学校出身者106名及び一般大学等出身者84名の計190名と、昨年9月に入校いたしました航空学生出身者44名であり、いずれも、将来の海上自衛隊を担う大変有為な人材であります。 さて、諸君、卒業おめでとう。 海軍兵学校からの伝統を継承する本校の学生として、厳しい教育訓練を乗り越え、本日ここに卒業の日を迎えた諸君に、あらためて心から敬意を表する。 その上で、諸君の門出に際し、学校長として、二点、はなむけの言葉を贈りたい。 その第一は、「自信と誇りを持て」ということである。 本校では、今後の幹部自衛官としての過酷な勤務に耐えられるよう、諸君に対して、様々なストレスやプレッシャーをかけ続けてきた。そのような中、精神的にも肉体的にも限界に近い状態で、多くの困難を乗り越えてきた経験は、諸君にとって、何物にも代えがたい人生の財産となるはずである。また、一般幹部候補生課程の諸君は、昨年7月の西日本豪雨災害の発生に際し、給水支援や土砂の撤去作業等の災害派遣活動に従事したが、その際、国民への奉仕こそが我々の任務の本質であるということを理解するとともに、自らの職務に「やりがい」や誇りを感じたことであろう。諸君は、これから、幾多の苦労や困難に直面するかもしれないが、ここ江田島で培った経験を糧として、自信と誇りを持って、それらを克服していってもらいたい。 その第二は、「自分なりのリーダー像を確立せよ」ということである。 幹部候補生学校では、幹部として必要な基礎的事項を型にはめて教えることに主眼を置いており、剣道や茶道の世界で使われる「守・破・離」という言葉で言えば、「守」の部分に該当する教育を実施している。諸君は、これまで、徹底して型を教え込まれてきたわけであるが、卒業後も、海上実習や初級幹部としての勤務において、まだ、しばらくは「守」の段階が続くことになる。しかし、そんな諸君も、中級幹部や上級幹部になっていくにつれて、いずれは「破」や「離」の段階に進まなければならないのであり、今のうちから、自分が目指すべき自分なりのリーダー像を確立し、少しずつでも、それに近づいていけるよう努力を続けていってもらいたい。 最後に、本日、卒業を迎えることができたのは、諸君自らの努力もさることながら、家族や友人など、諸君を支え、協力してくれた多くの人がいたからこそである。そのことに対する感謝の気持ちを決して忘れずに、今後、幹部自衛官として活躍することによって、恩返しをしてもらいたい。 ここ江田島の地は、その凛とした佇まいと、この地で築き上げた同期との絆によって、必ずや諸君の「心のふるさと、よりどころ」になるものと確信する。堂々と胸を張って、表桟橋から鹿島立ちしてもらいたい。 そして、我々職員にとっては、今後の諸君の活躍こそが、「心のよりどころ」となるのである。 おめでとう、そして、ありがとう。 海上自衛隊幹部候補生学校長 海将補 南 孝宜 #
by dybrristol
| 2019-05-19 02:48
| 呉・江田島
令和の時代が明けて、10日が経過。遅まきながら、「令和初」の記録は、海上自衛隊掃海隊群第1掃海隊さんでありました。なかなか投稿できない日々が長く続いておりますが、記録は続けております。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 今回の熱海の記録には、さまざまな特別な思いがありました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 昨年は、日本の各地で激甚な自然災害が多発しました。令和の時代明けて、改めて、災害なき穏やかで善き時代となるよう願わずにはいられません。 #
by dybrristol
| 2019-05-11 23:59
| ┣掃海部隊
平成から令和へ。新しき時代の始まりとなった「改元大型連休」も、本日が最終日。時間と云うものは、片時も休む止まる事なく進み続けています。例年、大型連休が明けると、横須賀に練習艦隊さんがたが入港され、「世界の海」へ船出されます。練習艦隊さんがたが横須賀を出港されるまでに、「鹿島立ち」の日を軸とした投稿を準備しています。今投稿は、「予告編」。
![]() 第69期一般幹部候補生課程及び第71期飛行幹部候補生課程の皆様の記録は、「江田島の1年のみ」ではなく、横須賀の防衛大学校の頃から始まっています。2016年度の開校記念祭の記録が存在します。今投稿用に作成した画像には、写っていらっしゃらないかもしれませんが。 ![]() 【註】第2課程の皆様は、一般大学等出身でいらっしゃいますので、全ての卒業生の皆様ではありません。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 新しき時代「令和」の幕開けと共に、「世界」へと旅立つ皆様。「新しき時代を担う」。その旅立ちまで、あと少し。日々、一つ一つの出来事が、何事にも代え難い経験。 #
by dybrristol
| 2019-05-06 08:16
| 幹部候補生学校
前回投稿の続編が投稿できぬまま休刊が続いておりますが、新しき時代の幕開けに際し、久方ぶりに投稿致します。平成の時代の大晦日、平成31年4月30日に、やはり久方ぶりに皇居前へ参りました。東京駅は頻繁に訪れますが、皇居前までゆくのは、本当に久しぶりでありました。改元まで、あと数時間であった宵の口。「東京」は霧雨が舞っておりました。
![]() ![]() 平成から令和へと時代が移り変わる数時間前に、明治まで時間を遡り、東京と江田島の「繋がり」に思いを馳せる事になるとは思ってもいませんでした。しかし、それは「大いなる時間の流れ・継承」を再確認するものであり、無理な「こじつけ」ではない筈です。全ては偶然ではなく必然。 ![]() ![]() 改元に伴う儀式が連日、映像として国民の目に触れる。そして、多く耳にした言葉は「感謝」。これこそが、日本人として誇れる「礼儀正しさ」の筈です。奢る事なく謙虚に生きる。「今の自分があるのは、周囲の方々のおかげ」。思い出されるのは、3月16日の第69期一般幹部候補生課程及び第71期飛行幹部候補生課程卒業式での学校長式辞。 「本日、卒業を迎えることができたのは、諸君自らの努力もさることながら、家族や友人など、諸君を支え、協力してくれた多くの人がいたからこそである。そのことに対する感謝の気持ちを忘れずに、今後、幹部自衛官として活躍することによって、恩返しをしてもらいたい」 平成31年4月30日を以て譲位された上皇陛下は幾度も幾度も「感謝」のお気持ちを述べられました。あふれるほどのお気持ちでありました。その事が頭を離れず、雨の宵の口に皇居前へゆこうと思わずにはいられませんでした。 ![]() ![]() ![]() 今投稿は「東京」と「江田島」が相通じると力説したいが為ではありません。「継承」です。長きの歴史を継承する。時代は移り変われど、形は少しずつ変われど、「普遍」であるべきものは何か。それは「心」。 ![]() ![]() 近代日本の幕開けとなった明治、大正、昭和、平成、そして令和。私たちは、「継承」で生き、存在している事を再認識する「改元」。自分は両親の「続き(継承)」であり、両親は、その両親の「継承」であり、この世の全ての人が「継承」である事を意識した「平成から令和への改元」。 新たな時代が動き始めましたが、変わりゆくものと「普遍」。その事を常に忘れる事なく、そして、感謝の気持ちを忘れる事なく、「継承」してゆかねばなりません。人はついぞ、大切な事を忘れがちです。当たり前にあるものだと思いがちです。しかし、「継承」とは当たり前にあるものではなく、「努力」や「務め」。 #
by dybrristol
| 2019-05-01 23:15
| 呉・江田島
現在、記念本の編集が中心となっており、約2ヶ月間、休刊となっておりましたが、本日は3月11日。東日本大震災発災から8年。9度目の3月11日。8年の月日が巡ろうとも、自分の中で、何かが2011年3月11日で停止しているような気がしてなりません。
![]() ![]() そして、9度目の3月11日を前に、東日本大震災と昨年発災した平成30年7月豪雨と「連結」した事を意識(認知)するようにもなりました。 ![]() 「異例の台風接近による雨」。 ![]() ![]() ![]() 全力で行われた様々な救助・救難・支援。全てが切実でありました。 ![]() 当時の横須賀には、全国から多様な艦艇さんがたが入出港されていました。3年毎に行われる観艦式の際にも、全国から艦艇さんがたが集結されますが、その時とは明らかに異なる「集結」でした。多様な艦艇さんがたが、それぞれの災害派遣活動をなさっていた。被災地から戻られた艦艇さんがたは錆が流れ、傷ついた姿を目の当たりにしていました。 それぞれの災害派遣活動のうち、輸送艦さんがたは、大柄な艦ながら、「日常に近い」印象がありました。「大きな家」のような。LCACさんがたで被災者の方々を輸送艦に招き、洗濯支援、救援物資配布、慰問の演奏、入浴支援。いずれも、切実な支援。また、掃海部隊の皆様と共に、TVでその災害派遣時の映像を目にしていた事も大きかった。 その為、自分が被災者になった際を想定し注視していました。実家横浜で被災するとしたら、「大震災」「大噴火」。人口が多い事から、避難所には入れないとしたら…。陸上交通手段が壊滅したら…。それは、東日本大震災翌年に行われた観艦式にて、輸送艦「くにさき」さんに載せて戴いた事から、「もしかしたら」。「くにさき」さんは、大桟橋と瑞穂埠頭に停泊されていました。瑞穂埠頭は、実家から近い。陸路が壊滅したら、残るは「海」。「空」は、空港が遠い。いや、でも、大型輸送ヘリコプターがたがいらっしゃる。そう、様々、素人ながら「想定」していました。 何事も起きていない時には、「何を云っているのだ」と思われるような事も、大規模災害が発災した時に「現実」になる。それを突きつけたのが、東日本大震災でした。当時、「未曾有」「想定外」と、どれほどの回数耳にした事でしょう。そして、「陸路が壊滅したら」「陸路が封鎖されたら、残るは海」が、昨年7月に「現実」となって、呉を襲いました。呉のみならず、各地を。 ![]() 本投稿は、3月11日当日に1投稿を予定していましたが、記述しているうちに、1投稿に構成するのは無理がある事が分かりました。現在、なかなか投稿できる状況にはないのですが、少しずつでも、進めてゆきたい。それは、今後、どのような災害が起きるとも分からぬ日々において、不安に苛まれるだけでなく、直面した時の為に。 ![]() ![]() では、少しずつでも、投稿してゆく予定です。今投稿は、ここまで。 #
by dybrristol
| 2019-03-11 01:58
| 海上自衛隊へいこう!
本年明けて、あっと云う間に月末であります。投稿時間がとれない状況は年が改まっても続いております。約半月が経過してしまいましたが、平成31年1月13日、野比海岸3地点にて行われた横須賀新春行事「おんべ焼き」を。個人的に「初日の出」「初詣」が「おんべ焼き」。横須賀新春早朝の海辺に、多くの方々が集い、一年の無病息災・家内安全・商売繁盛を願う「おんべ焼き」。今年も和やかで楽しげな、ひとときとなりました。「平成最後の」おんべ焼き。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 小泉議員の仰る通り、点火すると、瞬く間に燃え上がります。前夜雨が降ったにも関わらず、燻る事なく、威勢良く燃え上がりました。威勢良く燃える事が「吉」です。 「熱い男」になっていますが、実際に本当に熱いのです。猛烈熱い。iPhoneが溶けそうなぐらい熱い。それでも余裕の笑顔。溶けると云うより、炎の暑さは痺れる・痛いと感じます。その感覚は、何か特別な…「結界」があるかのような。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() さて。「おんべ焼き」の投稿としては、ここで締めても良いのですが、「平成最後の」おんべ焼きでしたし、自分が通い始めてから、来年で10年目になりますが、大変気がかりな事があるのです。それが前述の「動けない」の答え。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() #
by dybrristol
| 2019-01-26 18:11
| 横須賀
本年が皆様にとりまして、善き年でありますように ![]() 激動の2018年から2019年。平成最後の新年を迎えた横須賀は、澄み切っていました。遠く、横浜・東京方面が明瞭に見えていました。横須賀本港随一の眺望を誇るメルキュールホテル横須賀さんでの越年。厳しい寒さを予想し覚悟して久しぶりの横須賀に向かいましたが、耐え難い寒さは感じませんでした。風も殆どなく、華やかな幕開けの後、穏やかな新年を迎えた横須賀。ここ数年、横須賀の大晦日・新年は、不思議と厳しい寒さではなく、風も穏やかです。今年は師走になっても、妙に暖かい日が続きましたが、クリスマス連休後数日間、大変厳しい冷え込みとなり、強風でしたが、大晦日は、ぴたりと穏やか。と云っても、コートが要らない程の暖かさであった訳ではありません。手袋をしていないと、手がかじかんでいました。 ![]() ![]() ![]() 汽笛が鳴り響くのは、約1分。今年はサーチライトがなかったように思えるのですが。あと、花火が打ち上がる際、ヴェルニー公園が消灯せず、「え?」。華やかで良いですが、ヴェルニー公園に居ると、花火が打ち上がる直前に電灯艦飾・ヴェルニー公園が消灯し、「完全暗転」(舞台用語)となり、詰め掛けた大勢の方々から、どよめきが起きます。その「わくわく感」も良いのです。 ![]() 今年もいつものように、横須賀で新年を迎えました。心から穏やかである日々のありがたみを思い。 旧年中は大変多くの方々のご厚情を賜り、厚く厚く御礼申し上げます。皆様にとりまして、本年が善き年でありますよう、心よりお祈り申し上げます。 #
by dybrristol
| 2019-01-01 00:00
| 横須賀
激動の2018年が間もなく幕を閉じようとしています。平成最後の年の瀬。ですが、こちらのblogで、平成の世30年を振り返る時間的余裕がありません。激動の2018年を振り返る事さえも難しく。あまりに多くの事があった2018年を締めくくる投稿は、2018年12月18日(火)。第43代 呉地方総監 池太郎 海将 離任の日と致します。
![]() ![]() ![]() 今投稿を構成するにあたり、先に池呉地方総監離任のお言葉を敢えて分割させて戴く事と致しました。そして、今投稿の締めくくりに、全文をお納め致します。 ![]() この度、十二月二十日付退職が承認され、本日離任します。 平成二十八年七月一日、呉地方総監を拝命し、二年六ヶ月の間「愚直たれ」を指導方針とし、「最後まであきらめない」「物事をあなどらない」「人をあざむかない」の三つの「あ」の実践により諸君と共に愚直さを追求してきました。諸君は見事に「愚直たれ」を各人の価値観として身に付けてくれました。![]() ![]() ![]() ![]() 平成三十年十二月十八日 第四十三代 呉地方総監 海将 池 太郎 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 眩しき登舷礼。ドック内の護衛艦「あぶくま」さんから音響測定艦「はりま」」さんまで、見える限り全ての艦艇に整然と並ばれた、その壮麗さに将官艇にひしめいていた取材陣から思わず、どよめきが起きました。この動画で見えているのは、練習艦「かしま」さん、輸送艦「くにさき」さん、補給艦「とわだ」さん、掃海母艦「ぶんご」さん、護衛艦「かが」さん。もっと的確に記録出来なかったかと悔やまれますが、眩しき逆光、将官艇は速度を上げて航行しており、また取材陣がひしめいていた事、お互い当たらないよう落水しないように!が、やっとでした。その後、放送されたNHKさん、RCCさんの映像も、「これが精一杯!」でしたね… ![]() ![]() ![]() ![]() この度、十二月二十日付退職が承認され、本日離任します。 平成二十八年七月一日、呉地方総監を拝命し、二年六ヶ月の間「愚直たれ」を指導方針とし、「最後まであきらめない」「物事をあなどらない」「人をあざむかない」の三つの「あ」の実践により諸君と共に愚直さを追求してきました。諸君は見事に「愚直たれ」を各人の価値観として身に付けてくれました。それは、今般の平成三十年七月豪雨における諸君の活動において見事に裏付けられました。どうか今後共、諸君の心に「愚直たれ」を刻み込み、「現場の真実を理解すること」に務めつつ「部下の痛みを理解すること」を統率の心構えとし、誰もが勤務したい、そして地域から慕われる地方隊であることを心から願っています。 私が本日ここ呉において海上自衛官としての職務を完遂できることは、ひとえに諸君の日夜をわたかぬ献身的な努力の賜物であり深く深く感謝しています。本当にありがとう。 呉地方隊よ、永遠に「愚直たれ」 平成三十年十二月十八日 第四十三代 呉地方総監 海将 池 太郎 【追記】 「池呉地方総監」が地元呉の皆様に大変慕われていた事が全開となった日がありました。『呉地方総監 池太郎 海将を囲む会』。懇親会のようにも思える「会」ですが、送別会でありました。クレイトンベイホテルの最も広い「天の間」は満場。総勢500名の方々がご出席。呉の艦艇の名を冠したテーブルは38卓。池総監は、その全てを廻り、ご挨拶と記念撮影をされました。「総監が全てのテーブルの皆様へご挨拶に参ります」とのアナウンスが会場に流れた時、どよめきが起こりました。ご出席された皆様、どなたもが池総監との記念撮影に集まりました。通常、レセプションや懇親会では、出席された方々がそれぞれお話に花が咲き、ある意味、「カオス」になっています。しかし、この日は「海将旗」が、まさに「旗印」となり、「カオス」になっていたにも関わらず、それぞれのテーブルに皆様が集まりました。それぞれ以上に集まっていたテーブルもありました。 ![]() ![]() 「池総監の置き土産」として、送別会での動画をtwitterに投稿しましたが、投稿から数日で、twitter上の再生回数は2万回を超えました。秒単位でRTされてゆく様を目の当たりにしました。「身近に感じられる事」。「身近に感じる事」。 来たる2019年が災害なく、善き1年であるよう切に願い。 #
by dybrristol
| 2018-12-31 00:11
| 呉・江田島
激動の師走。12月1日よりの連続記録は大変記録数が多く、また、現在、時間が非常にタイトな状況にあり、大作の投稿が難しい為、短く「予告」と致します。
![]() ![]() 2009年横須賀出港より始まったソマリア沖・アデン湾における派遣海賊対処行動。来年で10年目を迎えます。これほど長い期間継続されている国際貢献。当初は多く報道されましたが、現在も継続している事を忘れかけている国民もおります。ですが、「当事者」である方々よりの横断幕が、その必要性を物語っています。守られているからこその日常。「当事者」でなくとも、日本国民の日常は、世界の海をゆく船舶に支えられています。全ての日本国民が「当事者」であるのです。日常生活において、その重要性を常に認識する事は難しいかもしれませんが。 その為にも、多くの記録を撮らせて戴きましたが、現段階で、詳細な大作を投稿する事が難しく。blogの投稿は難しいのですが、実際には「書籍」としての編集を行っております。 短い投稿ではありますが、「予告編(速報)」として。 #
by dybrristol
| 2018-12-06 16:55
| 海上自衛隊へいこう!
現在、実家のバリアフリー工事等、家の事情で遠出も投稿もままならぬ状況にありますが、来る2018年11月18日(日)は、『呉海自カレーフェスタ2018』が開催されますので、これまでの記録を振り返りつつ、投稿を構成致します。
![]() ![]() ![]() 『呉海自カレーフェスタ2016』の画像を振り返り、そして、その和やかな光景を見て、今投稿の構成を思い立ちました。今夏、呉市・広島県は平成30年7月豪雨発災により、「被災地」となりました。多くの方々が楽しみにしていた『サマーフェスタ』、呉湾の花火大会が中止となりました。激甚な土砂災害により、JR呉線は土砂に埋まり、呉も江田島も酷暑の断水に苛まれました。 ![]() ![]() ![]() こんにちわ!町田愛実です。新しく増えた家族とともに小学校生活最後の夏休みを過ごしています。 さて、この度の災害では土砂や停電、断水などの被害に遭われた方がたくさんいらっしゃると思います。その復旧のため、全国から自衛隊さんや、ボランティアの方が来てくださっています。 自衛隊さんは、広のオークアリーナで雑魚寝をし、缶づめのご飯を食べ、服も1日に1度しか着がえずに作業に励んでくれています。 皆が頑張っているのに何もしないのは後ろめたい、自分も何かできることがあればしたい、そう考えていた時に思いついたのが、「横断幕」を作ることでした。 ![]() ![]() 今夏の「呉の苦難」を乗り越え、今も復旧途上にある呉市・広島県。それだけに、『呉海自カレーフェスタ2018』の開催は特別な意味があり、苦難を乗り越えた方々の連帯感・絆を、そして、互いに労わる「あたたかさ」を再認識できる催事となるでしょう。どうか、雨は降りませんように。「係船堀」が多くの方々で賑わいますように。 ![]() #
by dybrristol
| 2018-11-17 03:52
| 海上自衛隊へいこう!
2018年10月27日(土)に執り行われた呉地方隊自衛隊記念日記念行事・記念式典より、呉音楽隊の皆様の演奏による『あすという日が』、30日(火)JR呉線の小屋浦駅〜水尻駅間の動画2編を投稿致します。
平成30年7月豪雨発災より4ヶ月。激甚な土砂災害が発災していなければ、自衛隊記念日の記念行事・記念式典は、華やかに賑やかに執り行われた事でしょう。しかし、今夏、呉市、広島県は激甚な土砂災害に苛まれました。記念式典の終わりに演奏された『あすという日が』は、東日本大震災の復興を切に願う多くの方々の「希望」となった曲でありました。作曲された八木澤教司氏は、東北のご出身。そして、この『あすという日が』は、2018年3月29日にリリースされた、海上自衛隊呉音楽隊創設60周年記念委嘱作品・八木澤教司吹奏楽作品集『オマージュ~海の守り詩』に収録されています。 『オマージュ~海の守り詩』のCDを池太郎 呉地方総監より戴いたのは、2018年5月25日。第67回 掃海殉職者追悼式予行終了後の金刀比羅宮境内でありました。その約1ヶ月半後、呉を、広島県に激甚な土砂災害が発災するとは、誰もが予測していなかった頃です。もし、平成30年7月豪雨が発災していなければ、今年の自衛隊記念日の記念式典にて『あすという日が』は、演奏されなかったかもしれません。大変美しい八木澤氏の楽曲のいずれかは演奏予定であったかもしれませんが。 平成30年7月豪雨発災から、4ヶ月。JR呉線は広島駅〜広駅までは開通しましたが、今も線路至近距離に痛ましい土砂災害の爪痕が残されています。線路至近距離復旧中区間は、今も最徐行です。動画の区間は、小屋浦駅から水尻駅間。 大空を見上げてごらん あの枝を見上げてごらん 青空に手をのばす細い枝 大きな木の実をささえてる いま生きていること いっしょうけんめい生きること なんてなんてすばらしい あすという日があるかぎり しあわせを信じて あすという日があるかぎり しあわせを信じて あの道を見つめてごらん あの草を見つめてごらん ふまれてもなおのびる道の草 ふまれたあとから芽ぶいてる いま生きていること いっしょうけんめい生きること なんてなんてすばらしい あすという日がくるかぎり 自分を信じて あすという日がくるかぎり 自分を信じて しあわせを信じて #
by dybrristol
| 2018-11-08 23:53
| 呉・江田島
季節は移ろい、櫻の樹々が赤く色づき秋深まる呉。本日夕刻、海上自衛隊呉地方総監部慰霊碑御前にて、池 太郎呉地方総監も立ち会われ、呉警備区殉職隊員追悼式予行が執り行われました。
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 呉警備区殉職隊員追悼式は、「広報」「行事」ではありませんので、多くの人々が執り行われている事を知らずにいます。しかし、世の中に広く公開すべき式ではありません。ご遺族の方々、有縁の方々の御心情を決して蔑ろにしてはなりません。その為、追悼式当日の記録はできません。せめて、予行の記録を以て、私達国民が「命を賭けて護られている自覚を持つ一助」になればと思い、投稿致しますが、それもまた、おこがましい事かもしれませんが… ![]() ![]() 「私達国民の平和、穏やかな日常は護られているからこそ」 #
by dybrristol
| 2018-10-25 22:38
| 呉・江田島
写真集編集の為、こちらのブログは休刊しておりましたが、2018年9月6日(木)午前3時7分、北海道胆振地方中東部でマグニチュード6.7の強い地震が発生しました。高校時代の親しい友人が旭川に住んでいる事から、状況を注視しておりました。「平成30年7月豪雨」発災から、まさに2ヶ月後に発災した「平成30年北海道胆振東部地震」。発災までの記録にて、今投稿を構成致します。
![]() ![]() 「しらせ」さんが横浜港に寄港されるのは、2012年以来でありましたか?日程は、ほぼ同じ。9月1日防災の日には、「しらせ」さんがいらした大さん橋近くの臨港パーク付近にて、九都県市合同防災訓練が行われました。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 平成30年7月北海道胆振東部地震発災から1週間が経過しましたが、その間、じっと報道を注視していました。その間感じていたのは、「今は戦時中に近い状況にあるのでは…」でした。大東亜戦争を経験した母親が、近頃、よく口にするのは、「今年はどうして、これほど大変な事が続くのかしら。まるで、戦争中のように」。はっとしました。途切れる事のない災害派遣。頻発する「避難指示・避難勧告」。寸断される交通機関。それに伴い物流も寸断される。物資が足りない。激甚な土砂災害、暴風、液状化による家屋損壊・倒壊。節電。 避難所への避難は、空襲からの防空壕への避難。停電節電は「灯火管制」。避難所での炊き出しは「配給」。自分たちの世代が戦争を経験していない為、「戦時中」が分からない。しかし、母親の言葉で、もしかして、今は「戦時中」と変わらぬ「有事中」にあるのではないか?と。 空から焼夷弾は降って来ない。機銃掃射もない。海に機雷は敷設されてはいない。地上戦もない。「敵」は攻めて来ていない。しかし。空から莫大な途方もない雨が一気に降り注ぐ。凄まじい暴風で街が剥がされ破壊されてゆく。山が崩れ住宅地を襲う。高潮が空港を水没させる。北海道全域が停電する。日常の破壊。それは「戦争」。自然の猛威との「戦い」。地震はいつ起きるか分からない。台風は進路予想が出来ても被害は免れない。とてつもない雨(線状降水帯の出現)は予測出来ない。 災害が起きる度に痛感させられるのは、自衛隊の皆様を始め、消防、警察、各機関の皆様の献身的な活動の重要性。こちらのブログに幾度も記載していますが、自衛隊の存在を否定する国民が居る事が心底情けない。反対を叫ぶだけで、あなたたちは、災害に苛まれ悲しみに打ち拉がれる「被災者」を救済出来るのですか?耳障りな太鼓を打ち鳴らし反対を叫ぶ「あなたたち」は組織的に「大容量」の支援が出来るのですか?人を救うと云う事が、どれほどの大変さであるのか、まだ分からないのですか?埼玉県の何市の婦人団体でしたか?「日常生活に迷彩服違和感がある」とテレビの取材に笑いながら答えた「おばさん」。あなたは、自分が被災者となった時、迷彩服の「自衛隊員」が救助に来て下さっても、「違和感がある」と云って、救助を断れますか?「災害」は最早、今の日本にとって日常。「明日は我が身」。自分が窮した時だけ助けて貰おうと云うのは、恩知らずな卑怯者。傲慢な身の程知らずに他ならず。 ![]() ![]() ![]() #
by dybrristol
| 2018-09-14 00:56
| 海上自衛隊へいこう!
平成30年7月豪雨発災からまもなく1ヶ月が経過しようとしていますが、大変心配された台風12号も過ぎ、全線不通となっていた呉線も懸命の復旧作業により、広島〜坂までが開通しました。断水が続いていた川尻地区も本日、復旧。日々着実に進んでいます。「日常」が戻る事を誰もが願っている真夏の呉・江田島。苦難の7月を乗り越え、迎えた8月。昨日1日、江田島は海上自衛隊幹部候補生学校にて学校長離着任式が執り行われました。
![]() 2018年8月1日(水)午前8時 国旗掲揚 齋藤聡 幹部候補生学校長として、修めの朝。真夏の青空広がる眩しき純白連なり。幹部候補生学校総出の国旗掲揚です。この後、齋藤 学校長は、ここ表桟橋より去ってゆかれますが、「江田島」では、表桟橋が「玄関」。大変重要な場所である事が、この写真からも判ります。国旗掲揚塔は、儀杖隊指揮官の直線上にあります。ここは表桟橋中央。つまり、表桟橋と国旗掲揚塔は「正対」。そして、おそらく、1年に2度、ここに夕陽が直射します。どなたが設計されたのかは判りませんが、「完璧な配置」の大変重要な「表桟橋」。
![]() 午前8時15分 その表桟橋に新たに幹部候補生学校長として、着任される南孝宜 海将補がご到着になられました。齋藤聡 学校長が出迎えられます。この日の江田島湾は鏡のように穏やかで美しく。表桟橋に降り立たれた時が、「着任」の瞬間でしょうか。 ![]() 南 学校長、お出迎え栄誉礼を受けられ、お隣には齋藤 学校長。お二人の「学校長」がいらっしゃるのは、この離着任式の時のみですね。 ![]() 栄誉礼を受けられた後、歩いて幹部候補生学校赤煉瓦の庁舎へ向かわれますが、表桟橋より赤煉瓦庁舎まで、途切れる事なく純白の縦列が連なっています。早朝から厳しい暑さとなっていた江田島。皆様、午前8時前から、ずっと並ばれていました。皆様、純白の正装、「江田島」を顕す白砂が涼しげに見えますが、実際には「猛暑」です。厳しい暑さの続く日本列島。数々の行事が中止となっていますが、ここ「江田島」に変わりはなし。皆様、平成30年7月豪雨発災後、断水と暑さに耐えて来られました。 いよいよ、齋藤学校長とのお別れの刻が参りました。幹部候補生学校長として受けられる修めの栄誉礼。上空は一点の曇りもない快晴。気温が高くになるにつれ、晴れていても白く霞む事がありますが、この日は違いました。澄み切った真夏の青空でありました。![]() 午前8時30分 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 齋藤 学校長は、見事な真夏の青空広がる朝に、ご家族と共に去ってゆかれました。 ![]() 南 学校長着任された直後に行われた分隊点検。学生館にぐるり並ばれた皆様、お一人お一人のお顔をしっかりとご覧になられて「報告」を受けられます。学校長、学生の皆様の「お顔合わせ」ですね。来年3月に「鹿島立ち」されるまで、あと7ヶ月。南 学校長をお迎えしての新たな学びの日々の始まりです。 ![]() 分隊点検が行われた学生館前。呉・江田島ならではの御影石の水路。古鷹山から流れて来る「清流」ですが、通常の水量は、ご覧の通り。しかし、平成30年7月豪雨発災後は、轟々と流れる瀧のようであったそうです。最初は土砂混じりであったそうですが、すぐに澄んだ水となり、「命を繋ぐかのような大切な水源」となったそうです。江田島は10日間ほど断水となり、こちらの水は飲料水には使えなかったそうですが、「流しそうめん」のように割った竹を並べ、生活用水の確保をなさったそうです。 平成30年7月豪雨が発災しなければ、今週末には「江田島サマーフェスタ」が賑やかに行われていた事でしょう。改めて「何事もない日々」の大切さを痛感した平成30年夏。 では、齋藤 学校長離任の訓示を掲載させて戴きます。 明日8月1日付、海上幕僚監部防衛部長を命ぜられ、明朝離任する。 本来ならば離任当日に訓示するのが通常であるが、少々長く話したいとの思いから、このような形になった。 先日の豪雨では諸君に大変不便な思いをさせ、校長として申し訳なく思っている。さらには3連休の中で、家族、恋人、友人と楽しく過ごす予定であったと思うが、それを取りやめさせ、災害派遣に従事させる決断をしたため、大変な迷惑をかけたように思う。校長の判断に不満を持っている者もいると思う。 しかし、近傍で大きな被害を受け、援助を必要としている人がいる中で、君たちに予定通りの休暇を与えることが私には出来なかった。人出が不足している被災地の状況を看過することができなかった。 「私も作業に加わらせてください。」 1隊の者が生まれた頃、2隊の者が小学生低学年の頃、平成7年1月17日月曜日、阪神淡路大震災が生起した。 「私も作業に加わらせてください。」 これは地震直後の23歳の女性隊員、ちょうど1隊の皆と同じ年頃の女性隊員の言葉である。阪神基地隊に勤務していた彼女は、神戸出身で、新婚まもなく、おなかには3ヶ月の赤ちゃんがいた。 土日は実家で過ごし、月曜日に地震に遭遇し、さあどうしようか、とにかく隊に戻ろう。 液状化現象で凹凸になった道を歩き、使える電車を乗り継いで甲子園まで辿り着き、そこから歩いて、普段は1時間もかからないところを4〜5時間かけて隊に戻ってきた。 着いたところ、ヘリコプターからどんどん荷物が降ろされているが、それを受領して配分する働き手が足りない。彼女はそれを見て、おなかに赤ちゃんがいるとか何とか言っておれない、何とかしなくてはと思い、作業指揮官に「私も作業に加わらせて下さい」と申し出た。しかし指揮官は彼女が妊娠しているのを知っているので、「君は軽い事務の仕事をしてくれ」と言った。 彼女は「どうしても作業をやらせてもらいたい」と言い返した。 何故か?と言う指揮官に問いかけに対し、彼女は次のように答えた。 「5年後、10年後、おなかの子どもが大きくなって、あの時、お母さんはどうしていたのと必ず聞くでしょう。それに対し、私はおなかの中のあなたを慮って、皆がやっていた作業を脇で見ていたとは言いたくない。私はあなたと一緒に故郷神戸の復旧作業に従事したと言いたい。十分に注意して作業をやりますから、是非やらせて下さい。」 このおなかの大きな女性隊員を作業を外すことについて、誰も不満ではないであろう。10年も経てば、そんなことがあったことすら覚えていないであろう。そういう作業をしても彼女は何の得も得られないであろうが、彼女は敢えて作業をすることを選んだのである。 何故か? それはきっと彼女の生き方であり、プライドであり、価値観である。 自衛官にとって大切なことは沢山あると思うが、一番大切なのは、このように自分の責任を果たそうとする気持ちである。イージス艦でも、潜水艦でも、哨戒機でも、お金さえあれば買えるが、お金をいくら積んでも買えないのが隊員の使命感であり責任感である。 君達が持っている、使命感や責任感の芽を摘んではいけない、今後の勤務に必ずや役に立つであろうとの強い思いから、災害派遣に従事してもらった。 私たちは何のために苦しい訓練を続けているのか。いざという時に役立てるためであろう。いざと言う時は今ではないか。そういう思うであった。 諸君が私の立場でも同様の判断をしてくれたであろうと思いたい。 なお、この女性隊員の子どもは平成7年生まれであるので、ちょうど1隊の皆と同じくらいの年齢であると思うと、極めて感慨深いものがある。 さて離任に当たり職員と学生に一言述べたい。 まずは、着任以来、本校の業務運営と学生指導に献身的に取り組んでくれた職員一同に対し、心から感謝したい。諸君の情熱により、素晴らしい学生達が卒業していった。今後も引き続き、強い責任感と熱意をもって学生指導に当たってほしい。 次に学生諸君は、幹部自衛官になるという決意を胸に本校に入校し、多くの困難を乗り越えながら、ようやくここまできた。 諸君が、何事にも真摯に、積極的に取り組む姿は本当に感動した。 5月に水泳能力測定時には壁を蹴るだけで5mしか泳げなかった者が、猛暑の中で遠泳を完泳した姿に、心が震えた。 「強きリーダーを目指せ」と常日頃から諸君に求めているが、災害派遣や遠泳の経験は、「強きリーダー」となるために、きっと活きてくれるはずである。どうか引き続き頑張ってもらいたい。 新配置では、我が国の防衛を政策面から支えるべく、全力で取り組む所存である。先日、2分隊の候補生が戦史戦略論講話で「防衛計画の大綱」や「中期防衛力整備計画」の話をしたが、私の次の仕事は、まさにそれらを作り上げる仕事である。 学校長の職は離れるが、諸君の活躍を心に留めて、これからも遠くから応援していきたい。そして、諸君といつの日か再会し、一緒に仕事ができる日が来るのを楽しみにしている。 海上自衛隊幹部候補生学校の益々の発展と諸君の活躍を祈念して、離任の訓示とする。 平成30年7月31日 海上自衛隊幹部候補生学校長 海将補 齋藤 聡 ![]() AKIRA 貴方の協力に感謝します 御安航を祈る #
by dybrristol
| 2018-08-02 18:14
| 幹部候補生学校
異例の逆走台風12号による降雨が大変心配された被災各地ですが、切なる願いと備えが天に通じたかのように、さほどの雨も降らず、心底安堵致しました。台風が行き過ぎた本日、急遽、呉の象徴でもある灰ヶ峰に連れて行って戴きました。
![]() 呉の街を出発した頃は、眩しい夏空であったのですが、灰ヶ峰頂上に到着した頃には、空は雲に覆われ、蒲刈、岩国方面は雨が降り始めていました。また、頂上付近は強い北風(もしくは東風)が吹いており、寒く感じられました。台風が過ぎた後は、かなり暑いであろうと思っていたのですが、違いました。台風12号の「異例さ」は、過ぎた後にも。
本日、灰ヶ峰に連れて行って戴いたのは、観光ではなく、「一望」出来る地点、また、灰ヶ峰頂上には気象観測のドームがありますので、「確認」しておきたかった為です。 ![]() ![]() ![]() 崩れ落ちて路肩に散乱していた「特徴的な割れ方」をしている岩。このような岩(石)は、各地点に大小様々ありましたが、そうでない地点もありました。 ![]() こちらは「土砂」。崩れていると云うより、流れ出している。しかも、自然物ではない物も混じっていました。灰ヶ峰の崩れ出している地点、一様ではありませんでした。灰ヶ峰への道沿いに限り、大規模な土砂崩れの痕跡はありませんでした。 ![]() こちらは、宇品の港を出港してすぐ左手に見えて来る宇品島の元宇品海岸。崩れていましたが、画像を細かく確認すると、男の子たちが海水浴に来ていました。この日は、宇品から江田島へ高速船で向かいましたが、乗客は僅か3名。江田島へ20分程で着くのですが、激甚な被害を受けた水尻、坂町、小屋浦、天応が遠くに見え、大きく崩れた山の斜面も見えます。 発災前日まで呉におりましたが、発災後、呉に戻り、お会いする方々とお話をしていて、車で呉から広島へ向かう際、激甚な被害を受けた地区を通る時、「胸が締め付けられる思いがする」「現実とは思えない」と聞く度に、いたたまれない。 そして、皆様、「これほどの災害が起きるとは思っていなかった」と。多くの方々が楽観視していたのではなく、あまりに発災までの時間が短かった。発災前日午前まで、それほど雨は降っておらず、油断も何も、まさに「想定外」「未曾有」であった事を痛感せざるを得ません。 #
by dybrristol
| 2018-07-31 00:04
| 呉・江田島
台風12号が呉市に接近しています。既に広島県に大雨、暴風の警報が出ていますが、午前8時の段階で、呉市は穏やかです。
![]() テレビでは、防災アプリやデータ放送の使い方、広島防災webの使い方を詳細に丁寧に紹介していますが、高齢の自分の母親を思うと、これらの「ツール」を使いこなす事は出来ません。「らくらくフォン」をマナーモードに切り替える簡単な操作も「わからないわ…」です。デジタルのツールが苦手なご高齢の方々は少なくありません。周囲にサポートできる人がいれば良いですが。ご近所、互いに助け合って、声をかけあって、来る台風に備える事の必要を、切実に感じます。 #
by dybrristol
| 2018-07-29 08:07
| 呉・江田島
2018年7月25日早朝に沖ノ鳥島付近にて台風12号が発生しました。進路はまだ定まっておりませんが、北上を続けると関東地方に接近・上陸しそうです。「平成30年7月豪雨」の被災地となった西日本へ向かわぬよう切に願いますが、首都圏は脆く。気がかりです。
寺田寅彦『天災と国防』(抜粋) しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。 今投稿は、発災が刻々と迫りつつあった7月5日。発災前日の呉。前日、呉では降雨は観測されていませんでしたが、5日の午前9時から雨が降り始め、発災へと繋がってゆきます。では、発災前日の呉を雨量と共に振り返ります。江田島の雨量データがない為、近しいと思われる大竹の数値を参照します。また、発災前の呉・江田島連続記録は、この5日まで。 7月5日(木)7時台 呉0.0mm 大竹0.0mm 今にも雨が降り出しそうな空。呉は午前9時まで雨は観測されていませんが、大竹では午前2時台に3.0mmの降雨。 ![]() ![]() ![]() ![]() 7月5日(木)8時台 呉0.0mm 大竹0.0mm 輸送艦「おおすみ」さん出港。呉湾は既に雨が降っているように見えました。中央桟橋付近も、ぽつぽつと雨が降り始めていました。 ![]() ![]() ![]() 呉に、江田島に、この広島に土砂災害が迫っている」 ![]() ![]() ![]() 7月5日(木)9時台 呉2.0mm 大竹1.5mm 写真は8時53分。雨が強まり始めていた為、気になり撮ったようです。 ![]() 何とか荷物をまとめ、滞在先を出た頃は傘が必要な雨。しかし、荷物が多い事から、傘を持たずに出ました。呉駅まで、バスで行こうと思いましたが、行き先次第では停車位置から呉駅まで、雨に濡れる(自分ではなく、荷物が)。その為、天応方面行きのバスを待ちました。今回の滞在期間中、何故か、バスを待っていると天応方面行きが来ました。出発の日も、すぐに天応方面行きのバスが来ました。 7月5日(木)11時56分 呉2.0mm 大竹1.5mm 広島駅へと向かう車窓から、降りしきる雨が気になり。呉線かるが浜駅付近です。 ![]() ![]() 迫り来る豪雨の気配は感じていた。しかし、4年前は呉に、広島に、連日雨が降り続き、記録した8日から発災まで、約10日ありました。その為、今回、豪雨の気配は感じていたものの、翌日に発災するとは全く思ってもいなかった。危機感もなかった。激甚な土砂災害が突如、降りかかる等と思える状況にはなかった。 ![]() 7月7日(土)8時21分 呉より静岡へ。 ![]() ![]() そして、再び、土砂災害の危険が迫っているかもしれない今。台風12号です。西日本ではなく、東日本。まだ遠い。台風12号が接近してくるまで、「猶予」があります。その間に出来る事は何か。心の準備と備え。「自分のところは大丈夫」等、根拠のない余裕は持たぬ事。台風の進路、雨雲・線状降水帯を注視する事。襲いかかる自然の猛威は避けられません。止められない。「減災」。それしかないのです。 #
by dybrristol
| 2018-07-25 23:19
| 呉・江田島
連日の厳しき炎暑に振り返る「雨の記録」。今夜の横浜は、僅かに雨音が聴こえましたが(その後、未明から本降りの雨が降り、台風12号発生)。「平成30年7月豪雨」発災から20日が経過しようとしています。世の中は早くも遠くになりにけり…になりつつありますが、敢えて発災までの呉・江田島を1日毎に雨量と共に振り返ります。今投稿は、発災が刻々と迫りつつあった、台風7号通過翌日の呉。江田島の雨量データがない為、近しいと思われる大竹の数値を参照します。
7月4日(水)8時10分 大竹0.0mm 呉0.0mm 発災前、「最大の関心事」であった台風7号は広島県を縦断する事なく過ぎ、台風一過の晴天を期待していた日。しかし、朝から雲行き怪しく。大竹では午前3時から6時にかけて6.5mmの雨量を観測。 ![]() ![]() 7月4日(水)11時台 大竹0.0mm 呉0.0mm 隊友会・呉水交会・呉音楽隊前より。善通寺よりお越しの陸上自衛隊さんがたが続々と通過される頃には、思いっきり晴れ始めます。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2014年から4年後、続々と通過される陸上自衛隊さんの車両を見ていて、この日を思い出さない筈がありませんでした。次第に「4年前を思い出す。あの頃と似ている気がする」が顕著になり始めます。 7月4日(水)12時台 大竹0.0mm 呉0.0mm あまりに見事な晴れっぷりに、気を良くして、インコを持ち出し、記念撮影する程でした。台風も過ぎた事から、「このまま広島県も梅雨明け」ぐらい思っていました。 ![]() 「思い出せ思い出せ。あの頃を思い出せ」と云わんばかりの光景が現れ始めます。記録と記憶の交錯が始まります。そして、この日の記録は、発災後の「災害派遣・支援」へと直結してゆきます。 ![]() 7月4日(水)13時台 大竹0.0mm 呉0.0mm 静岡県での転地訓練の為、香川県は善通寺からお越しの陸上自衛隊さんの車両を輸送艦「おおすみ」さんへ搭載。「平成30年7月豪雨」発災後に直結する光景が続きます。 ![]() ![]() 「おおすみ」さんへの搭載を記録していて、思い出された光景がありました。「あの頃」です。2013年10月。呉に雨が降り続いた2013年10月。 ![]() ![]() 「数値」は、後から分かりますが、今は「雨雲レーダー」で強雨域を察知する事が可能です。「第1波(始まりの1時間)」の段階で、時間雨量を50mmを超えるような強雨域が迫っている場合、避難を決意する。線状降水帯が現れている場合は、即避難準備。現在の激しい気象状況を見るに、大げさと思われる程の心の準備と避難の準備をしなくてはならなくなっているのかもしれません。「50年に一度の」「数十年に一度の災害が差し迫っています」の警報は、大げさではない事が「現実」になった事を目の当たりにしました。呉市を襲った「昭和42年7月豪雨」と「平成30年7月豪雨」。51年目の激甚土砂災害。 ![]() 7月4日(水)13時台 大竹0.0mm 呉0.0mm 2013年から約5年が経過した発災2日前。 ![]() 7月4日(水)16時台 大竹0.0mm 呉0.0mm 何を思ったか、隊友会事務局から滞在先へ戻り、更にクレイトンベイホテルさんへ移動。昼前後は真夏の青空であったのですが、その後は雨は降らなかったものの、梅雨空に。 ![]() 7月4日(水)19時30分 大竹0.0mm 呉0.0mm 日の入り前に夕陽がさし、とても美しい夕刻でありました。 ![]() ![]() この後も呉は雨が降る事なく、美しい夕刻から夜が訪れます。翌朝から本格的に雨が降り始めますが、前夜の段階では、本格的な雨の気配は感じられませんでした。雨の降り出しは、午前9時から。そして、発災まで、雨は降り続きます。 【追記】この投稿した後、横浜では未明から本降りの雨となりました。午前4時には大雨警報が発表。午前3時には、沖ノ鳥島近海で発達中であった熱帯低気圧が台風12号となり、今週末、本州へ接近、上陸する可能性が出て来ました。その場合、いきなり勢力が強いまま、本州に接近、上陸する事になります。西日本へ向かわぬよう願うばかりですが、関東は要警戒です。 ![]() #
by dybrristol
| 2018-07-25 00:36
| 呉・江田島
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