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●おしらせ ------------------------------------------ 3月11日午后2時46分。東北地方太平洋沖地震が発生致しました。後に「東日本大震災」と呼ばれるマグニチュード9.0の巨大地震。以降、東日本のみならず日本は「天地がひっくり返って」しまいました。未曾有の災害です。あまりに規模が大き過ぎ、投稿が完全に追いつかぬ状態のまま今に至ります。いずれ、新たなブログを開設したいと思っています。 検索
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今投稿は、大変長くなるでしょう。その為、日付が変わるのを待たずに投稿を開始します。東日本大震災発災後、幾度となく繰り返し投稿を続けて来た「東日本大震災」。発災から1年の日、改めて、東日本大震災=東北地方太平洋沖地震発生直後からの横須賀本港の記録を投稿します。大変記録数が多い為、詰めた画像にて構成します。また、当日、横須賀本港周囲にいらした方々に津波に対する警戒心が殆ど見られなかった事に改めて「警鐘」となるよう、繰り返し細かく投稿致します。冒頭は、14時49分から18時10分までの横須賀本港。急速な潮位変動、整然と出港される海上自衛隊さんの艦艇さんがた。画像内の4桁の数字は時刻。各画像クリックで拡大表示となります。
2011年3月11日(金)横須賀 東北地方太平洋沖地震発生 14時46分 牡鹿半島東南東約130km付近=北緯38度06.2分、東経142度51.6分、深さ24kmの三陸沖を震源とするマグニチュード7.9 (速報値。後にモーメントマグニチュード9.0)の地震発生 宮城県栗原市で震度7。福島県双葉町で震度6強。横浜市で震度5強。横須賀市で震度4 15時14分 大津波警報・注意報切替 岩手県・宮城県・福島県・青森県太平洋沿岸・茨城県に大津波警報 東京湾内湾に津波注意発表 15時08分 青森県三八上北 震度5弱 15時09分 福島県中通り 震度5強 福島県浜通・青森県三八上北 震度5弱 15時14分 津波警報・注意報切替 15時15分 茨城県鉾田市 震度6弱 15時18分 茨城県南部・埼玉県南部 震度4 15時26分 福島県・茨城県 震度4 15時27分 福島県・山形県・茨城県南部 震度4 東北地方太平洋沖地震発生から3分後より始めます。画像1段目の間、これだけの地震が起きていました。異様な状況でした。横須賀も揺れ続けましたので。14時46分の最大の地震発生時は自分は海の上におりましたので、地上の揺れを体験していません。長く揺れが続いていた事と思いますが、横須賀市は震度4であったようですね。ですが、海を伝わった震動はそれ以上に感じられました。14時49分から数分間、横須賀本港内は複雑な波が走りました。船舶の曵き波ではありません。複雑に走る波、泡立つ海面(震動?)。おやしお型潜水艦さんの皆様が一斉に艦上に出て来られます。横須賀本港・長浦港に響き渡る艦艇さんがたの汽笛。4度鳴らしておられたと思います。米海軍さん基地からはサイレンが鳴り響きました。辺りは騒然。その間にも強い余震が続き、揺れ続けました。14時59分から15時24分まで記録が飛んでいるのは、揺れ続ける足下・鳴り続ける携帯電話(速報mail)・安否確認・これからどうすべきかに追われていた事もありますが、この約30分間の横須賀本港は静まり返っていたように記憶しています。異様な静けさであったようにも思います。15時24分頃から、艦艇さんがたから蒸気が一斉に上がり始めます。「緊急出港準備」。15時27分には海上保安庁さんの放射能調査艇「きぬがさ」さんが横須賀本港に到着。この時、一緒に居た、まいか嬢と「怖いよ怖いよ」と云い合っていました。ひっきりなしの余震、そして。携帯電話に届いた第一報。「宮城県震度7」に衝撃を受け、手が震えました。海の上で感じた震動。恐ろしい規模の巨大地震が起き、自分の想像を遥かに超える事態が進行している事が判ったからです。ですが、二人で居られた事、目の前に海上自衛隊さん・米海軍さんがいらした事が何より心強かったです。もし、家に独りで居たら…とてつもなく不安であった事でしょう。津波が来る事は判っていましたが、「ここ」に居る方が安全とさえ思えました。海辺であっても(その頃には海面から5m以上の高い位置に)。恐ろしい津波第一波は、既にこの頃、各地の海岸線に到達していました。震源付近の水深は、約1,600mだそうです(長岡技術科学大学さんsite「水工学研究室」より) 15時46分 岩手県一関市 震度4 余震は数分毎に続き、横須賀も揺れ続けましたが、辺りはとても静かであったと記憶しています。時折、サイレンの音と「津波注意報が発表されています…」の放送以外。この静けさが怖かった。ヴェルニー公園には、本当に普通に歩いていらっしゃる方々。海上自衛隊さんの艦艇さんがたは極めて沈着冷静であるように見えました。ばたついている気配は感じられず、そして、15時32分。試験艦「くりはま」さんより東北地方太平洋沖地震発生から1時間以内の一斉出港が始まります。この日、最も吉倉桟橋の奥にいらした「くりはま」さんより。続いて、逸見岸壁の試験艦「あすか」さん。「おやしお型」潜水艦さんの皆様、ほぼ全ての方々がライフジャケットを着用になられ、ご準備を始められました。後方の米海軍さん駆逐艦「マスティン」さんの皆様も上甲板に出て来られました。 上空に…米海軍さん?の小柄な飛行機。横須賀本港を出てゆかれる試験艦「あすか」さんを見送られる「おやしお型」潜水艦さんの皆様。続いて、吉倉桟橋より護衛艦「はるさめ」さん出港されます。この時、横須賀本港内には横須賀港務隊の大型曳船さんがたが集結されていました。YT66,68,74,79号さん。95号さんは長浦港にいらしたのでしょうか。一斉出港準備に入っていましたが、大型曳船さんがたも極めて冷静でした。吉倉桟橋と逸見岸壁で同時に出港準備が進められていましたが、大型曳船さんがたもバタついているようには見えませんでした。急いでおられるのは判りましたが。この頃、僅かに見える長浦港出口を気にかけていました。長浦港から出て来られる艦艇さんがたが見えると思い。吾妻島定期便が写っていますが、とても大勢の方々のお姿が見えます。 横須賀本港の最も奥にいらした特務艇「はしだて」さん出港。「おやしお型潜水艦」さんの皆様、引き続き艦上で待機。後方の「マスティン」さん、上甲板に乗員の方々が続々出て来られていますね。「はしだて」さんに続き、吉倉桟橋最も手前にいらした護衛艦「おおなみ」さん出港。極めて沈着冷静に各岸壁・桟橋の外側から交互に整然と出港された事が判ります。大型曳船さんがたも沈着冷静にサポートなさっていましたが、「一刻も早く!」と云う勢いでした。逸見岸壁には、「ちょうかい」さん、「きりしま」さんの両イージス艦さん。白煙が立ち上ります。 16時15分。再び、上空に米海軍さん?の小柄な飛行機。16時19分。吉倉桟橋は護衛艦「たかなみ」さん、逸見岸壁は護衛艦「ちょうかい」さん、同時に動かれます。余震の間隔は開いて来ていましたが、それでも、揺れ続けます。ふと…横須賀地方総監部さんの管制塔の後方に航空機が見えました。旅客機がこの高度で、ここを飛ぶとは思えませんので…。その他にも航空機は数機飛んで行ったと思います。追い切れませんでした。「たかなみ」さん出港にて、吉倉桟橋自体が見えて来ました。逸見岸壁も、「きりしま」さんのみです。この頃、興味深げに、または楽しげな中学生・高校生がやって来ました。「津波が来るから、避難して」と云っても、「なんでー?」ぐらいの無防備さでした。「海で遊ぼう♪」と楽しげでした。彼らの頭には、映画や映像で見る、ビックウェィブが来て、颯爽とサーファーさんが波を駈ける図が浮かんでいたのでしょう。「津波は、ビックウェイブじゃないからね。海全体が盛り上がって来る。海全部だよ?判る?」「へ〜?海上自衛隊の写真撮ってると津波に詳しくなるのかなー」。堪忍袋の緒が切れそうになりましたが、彼らは少しは判ってくれたようで、素直にダイエーさんに入って行ってくれた事が幸いでした。その後、数々の恐ろしい映像に津波の恐ろしさを学んでくれていると信じています。 16時30分 福島県浜通り 震度5弱 16時38分 岩手県九戸郡野田村 震度4 鋼の光沢ぎらつかせ、「ちょうかい」さんが出港されようとしている時でした。はッとしました。「!潮が引いてる!」。この日の横須賀の干潮時刻は、東北地方太平洋沖地震発生直前の14時33分。既に2時間が経過している16時30分の段階で、潮が引く筈がありません。しかも、急速に引いてゆくのがありありと判りました。僅か5分の間に海底が見え始めます。「来る。津波が来る!」。自分は、実際に津波を観た事はありませんでしたが、津波の前兆は「急速な引き潮」である事は知っていました。見る間に海底が現れました。干潮から2時間経過した頃、再び潮が引き切る事など、通常はあり得ません。折しも、「きりしま」さんが出港されようとしている時に…。潮は何処まで引くか…。ここからは自分にとって、全く未知の体験です。もし、ヴェルニー公園を超える規模の津波が来たとしたら…。今居る地点よりも高い位置への避難を真剣に考えました。目前の「おやしお型」潜水艦さんの皆様が「頼み」です。皆様が急ぎ動かれたら、即座に避難。写真を撮っている場合ではありません。津波からの避難は一刻を争います。到底、人が走って逃げおおせる速さと力ではありません。 17時19分 千葉県香取市・匝瑳市 震度4 17時31分 宮城県北部・南部・中部・福島県浜通り・会津若松市・栃木県北部 震度4 17時40分 福島県浜通り 震度5強 福島県中通り 震度5弱 17時41分 福島県双葉郡富岡町 震度5強 「きりしま」さんが出港された後、しばらく余震は落ち着いていましたが、再びたて続けに起きました。そして、横須賀本港内の海面は上昇し続け、通常の満潮ラインを超えます。しかし、ヴェルニー公園には多くの方々が「フツー」に歩いておられます。足下では、海面が満潮ラインを超えていると云うのに。全く普通に歩いていらっしゃいました。その光景も、とても恐ろしかった。気付いていらっしゃらない事がとても恐ろしかった。実際には、ヴェルニー公園を超えませんが、「2011年3月11日は超えなかっただけ」です。17時17分。この時を津波第一波とするなら、最も海面が上昇した頃です。ヴェルニー公園まで、あと僅か。僅かです。余地は2mないです。多分。そして、5分後、海面に渦が現れます。再び、急速に潮が引いてゆきます。約30分後、再び海面は急上昇します。繰り返す潮位変動。対岸の千葉県旭市を17時台に7.6mの最大の津波が襲っています。「地震発生から2時間半あまり経った頃」と報じられていますので、この時刻でしょう。ヴェルニー公園を普通に歩いていらっしゃる方々が多くおられた、この17時10〜17分。この時間帯、旭市を襲った津波最大波の犠牲になられた方々が…。実際には、第一波は30分前後で到達していたようですので、この時が第二波であれば、その間は2時間。長いです。避難は「どこまで待てるか」でもあります。このような状況で、人は「家に帰りたい」と思うでしょう。そこを何処まで待てるか。避難を続けられるか、です。この日、大変多くの方々が帰宅困難者となり、冷え込む晩に、ひたすら歩き家を目指す行列が忘れられません。一刻も早く家に帰りたい。家族と一緒に居たい…。その心情は痛い程判りますが…。 18時10分以降は、夜になり、写真を撮る事が難しくなっていました。暗さもありますが、バッテリーがなくなりかけていたのです。どうにかして、翌朝までバッテリーを持たせたかった。デジタルカメラの弱点ですね。津波・海面上昇の記録は、18時台で終わっています。 この日から、1年。笑顔を取り戻し、着実に前進されている被災地と被災地の皆様。一方で、今もご家族を探し続けていらっしゃる方々。「大切な人」を亡くされた方々の癒えぬ悲しみ、痛み。我が家に、故郷に戻れぬ方々。仕事に就けず希望を持てぬ方々。この1年、東日本大震災の事を忘れた日などありませんでした。忘れようがなかった。2012年3月11日で1年ではあっても、それが「区切り(過去の事に)」ではありません。これからも、自分は自分なりに東日本大震災に向き合ってゆこうと思っています。そして、この日の記録を幾度でも投稿しようと思っています。そう強く思うのは、東日本大震災に対し、無関心であった人々に接していた時期があったからです。人として、一社会人として、何故、無関心でいられるのか、怒りも感じましたが、では何故、その人々が無関心であるのか、を考えました。結局、答えは出ませんでしたが。その事も、自分にとってはそら恐ろしい事でした。ですが、あれこれ云うよりも、自分に出来る事をするべきです。それが記録と投稿。詳細に記録した横須賀本港内の状況が「警鐘」となるよう願って、改めて投稿しました。1年をかけて、さまざまな視点からの東日本大震災を投稿して参りましたが、2012年3月11日は、1年区切りの「締切」ではありません。今も、さまざまな資料・文献・写真の確認を続け、画像を作成し続けています。 「東日本大震災から1年」。幾度となく、こちら『日報』に書きましたが、「区切り締切の1年」ではありません。これからも情報の確認・記録の確認・投稿を続けます。と云いましても、こちらは『日報』ですので、全て東日本大震災・東日本大震災災害派遣に関わる投稿ではありませんが、連動ブログが複数ありますので、それぞれに時期を考慮し、投稿を続けます。今投稿を開始したのは、3月10日17時46分。大変長い投稿となっておりますが、2011年3月11日、被災地へ向けて横須賀本港・長浦港を一斉出港された艦艇さんがたを。長浦港を出港された皆様は、記録がありませんので(長浦港にゆきたくとも動けませんでした)、当日、いらした方々はこれまでの記録より。横須賀本港の皆様は出港順に。 大切な人々を失った方々へ寄せる思い。自分は、父を30年前に亡くしました。当時、頻繁に父が帰って来る夢を見ました。次第に精神を病み、摂食障害となり、自傷を繰り返すようになりました。何故、自分がこんな苦しい思いをしなくてはならないのか。何故、自分だけが(当時は、そのようにしか思えなかった)。周囲の幸せそうな家族に憎しみさえ覚えました。かけて下さる優しい言葉も「あなたは大事な人を失ってない。何が判る」と拒絶。孤立してゆきました。いつの日か、現実を受け入れられるようになり、憎しみも哀しみも癒えてゆきました。周囲の方々の支えがあってこそ。ですが、今も父が帰って来るように思えるのです。何処かで逢えると。今も父を捜し続けています。捜し続けていますが、いつも側に居てくれているようにも思っています。
by dybrristol
| 2012-03-11 00:40
| 東日本大震災 災害派遣
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